タバコ休めみたいな道中

休んでいる間も命を削るのはまるでタバコのよう

友達というワードがくそ

早起きを習慣にするには、早寝が必須です。

 

でも、眠れない夜があってもいいじゃないか!

 

ということで、ちょっと自分の人間関係について荷解きたいかなって思います。

 

まず、友達というワードが僕は苦手です。

 

友達だから仲良くしなさいとか、友達のお願いなら無理をしてもきかなきゃとか、友達に対してとる行動に自身が酔っているようにしか感じなくなったからです。

 

以前、すごくお金に困った友人に対して自分の生活費まで削ってお金を貸すことがありました。

そのお金でその友人は彼女との食事に行った話をお返しに楽しそうにしてくれました。

 

僕が友人を思い渡したお金は友人の至福を満たすために使われたと感じざるを得なかったです。

 

この時、友人が困ってるのに対して自分を削ってでも対応する自分に酔っていただけかと気づきました。

 

「これだけしてやったのに!」

 

こんな感情を生む前に、自身に酔う自分から目覚めることが僕には必要でした。

 

そんな僕の人間関係にはランクがあります。

 

  • 他人…名前も素性も知らない

 

  • 知人…クラスメイトやバイト先の人や誰かしらの繋がりのある人。名前や性格などなんとなくわかっている。

 

※バイト先の人は友人に類似することがある

 

  • 友人…出かけたり、ご飯を共に出来る人。時間や思い出を共有できる人。

 

※腐れ縁などに派生する

 

  • 親友…お互いを尊重し、受け入れあえる人

 

まとめるとこんな感じです。

 

他人<知人(バイト先≒)<友人<(友達≒)親友

 

※腐れ縁は諦め

 

僕にとって知人や友人が軽々しく友達になって欲しくないって思う僕です。

 

例えば、とある人で自分との関係を友達だと第三者に言いふらす人がいるとします。

 

「いや、俺はまだ友人くらいにしか思ってないんだけどな…。」

 

この温度差が心地の悪いものなので申し訳ないですが、続くようならこの先はないなってなります。

 

僕にとって友達というワードは別に誰かに宣言したり、口に出す必要のないものだと思っていますから。

 

時間や思い出を共有できる関係が出来たから友達になれた"気がする"くらいでちょうどいいんです。

 

それでも、理想のランクに友達をあえて入れているのには理由があります。

 

友人以上に付き合いもあるけど、一方的に親友と思ってもいいのか悩む人は友達にさせてもらいます。

 

相手の理想の人間関係には、僕はどの位置にいるかなんてわかりませんからね。

 

人間関係なんて不特定多数の理想をどうやって大まかに把握して、拒絶されない程度に突いていくようなものなのではと思うこともあります。

 

そうそう、最近カテゴライズした腐れ縁は本当にどうにかして解消していきたい事案です。

 

僕が諦めで許容するとそのスキをどんどん広げて、時間を思い出をと割っていきます。

 

自身の理想に影響が出始める前になんとかしなきゃと感じています…。

 

 

親友は理想すら妥協させる

 

僕にはほかにもより細かな理想はたくさんあります。

 

でも、もうそんなのどうでもよくなるほど一喜一憂を共に出来き、互いを尊重し合い、互いに友達以上だと認識していると確信できる人。

 

そんな人を僕は親友だと思っています。

 

親友を見つけるには大勢の友達と時間を要するものだと思っています。

 

僕が、お互いが持つ理想を妥協しあい、個人としてお互いを尊重しあえる人に出会えことは奇跡かもしれません。

 

こんな理想を持つ僕にも親友と呼べる人たちがいてくれています。

 

なら、細かすぎる僕よりも他の人はもっと親友をみつける可能性に溢れているのではないでしょうか。

 

だから、これを読んでいる人だけでも、別に人間関係にそう悩まなくてもいいんじゃないかなって思って欲しいです。

 

自分の周りにいる大勢のうち1人でも親友と呼べる人が出来るまで待てばいいんですよ。

 

僕はこれからもきっと、

自分の理想の人間関係をベースにしたまま生きていくのだと思ってます。

 

先日の友人とのもつれから、

「友達とはなんだ?」ってなったばかりですから。

 

なので、僕は友達なんていうワードくそすぎて悩むことじゃないってことにします。笑

 

では、また!