タバコ休めみたいな道中

休んでいる間も命を削るのはまるでタバコのよう

僕はただ、さみしがりな人間だった

久しぶりの投稿になります。

 

生活の変化から、悩みが頭から離れなくなってしまいました。考える時間が増えたからですね。そして、頭の中を書き出す作業で暇をつぶすことが、僕の悩みすぎることへの予防策だったり特効薬だったりします。

 

「継続は力なり」

 

習慣や学習、おおきく人生においてとても大切教訓だと、いま強く感じています。

 

当ブログに自分の言葉をつづったり、読書アカウントに読後感想を投稿をしていたりしていた毎日を、懐かしさと恥ずかしさとちょっとしたまぶしさを感じながら振り返っていました。

 

運営開始当時から「継続は力なり」を言葉では知っていました。そして、継続もしていました。ただ、「なんの力」になったのか、その実感を得る前に自分の中で満足してしまったように思います。

 

何かを継続する際に欠かせないのは、「なんの力」を身につけた自分がいる、という理想像を妄想し尽くすことでした。突発的に興味本位で始めたことでさえ、目指すものがはっきりしていると、道中で満足しやめてしまうようなことにはならないのかもしれません。

 

なんとなくの継続から「なんの力」も得られなかったのか。

 

現状の自分は「ノー」と答えます。

 

確かに、ブログや読書アカウントの運営の力は身についてはいません。それらで目指すものがはっきりしていなかったから、しょうがないと思います。「なんの力」があるのかすらわかっていないのだから、見えてこないようなものです。

 

途中で満足した道中から、はっきりと、身につけたちからがありました。

 

それは「自分を知る力」です。

 

なんだそれ、って記事を書いている自分ですら思ってしまうような力です。けれど、数年前になくて今ある、身につけた力なんです。

 

記事や感想を書くためには、自分の価値観を知って、視点や軸を定めることが欠かせませんでした。物事に対して、どう感じて、考えて、実際言葉にしていくか、頭の中や心の中にまで目を向けていく時間がどうしても必要でした。それと、染みついた癖のような、無意識に処理してしまう動作にも意識を向けていく作業も必要でした。最初の方はかなり時間を割いていたと、振り返っても感じます。

 

日常生活において、感情がゆれ動く出来事には自分を見つけやすいのです。問題は、無意識にしている仕草や表情、生き方みたなところから自分を見つけ出すのはきっかけすら脳みそがちぎれそうになってました。

 

そんな道中で「自分を知る力」を身につけて、見つけ出した自分に染みついていたものがいくつかありました。その中で、つい最近まで認めたくなかった自分がいました。

 

『僕はただ、さみしがりな人間だった』

 

それでも、脳みそがちぎれそうになりながら目を向け続けた素の自分なのだからしょうがないかとなりながら、これを書いている今現在も、唇をかむほど受け入れがたいです。

 

これまで書き出してきた記事でも取り上げてきた母親や友人をはじめとする人間関係から生じる悩みに、色々とつながりが見えてきたような気もして、安堵しているような感覚もあります。

 

安堵してしまうのは、別の可能性を探し続けて、それでも見つけられていなかったのもあるのでしょう。

 

母親に素直な気持ちを伝えてみたり、女友達をつくってみたり、友人と騒いでみたり、夜のお店に足をのばしてみたり、風俗を利用してみたり。さらに、独りで色々やりはじめてみたり。

 

ひとからのぬくもりを実感したかった、さみしい気持ちをどうにかごまかしたかった、むしろ、さみしがりな人間だったからと理由をはっきりさせたい願望がつのっていた気さえしてきます。

 

「自分を知る力」から「僕はただ、さみしがりな人間だった」を見つけ出せました。見つけ出したことと受け入れることが別物だったと理解することもできました。そして、受け入れたことで衝動の原因に検討をつけることもできました。

 

自分がわからないという不安はなくなり、悩みを割り切ることができるようになる。

 

そんなことを「自分を知る力」には今後も期待できそうです。

「書く」ことで承認欲求より自己肯定を感じたかった

僕はかれこれ、3年ほど「書く」ことを通じて自分を発信してきた。いつか僕の発した言葉で誰かを勇気づけることができれば、と持ち前の性格を社会に還元させたい一心でなんとか続けてきた。そのための発信に関する情報にもまれながら色々な書き方を真似たり、扱うジャンルを広げるために知識を増やす努力もしてきた。正解のない「自分らしい発信」を追い続ける日々にもそれなりの充実感を得ていたが、誰かの役に立てたのか数字ではわからないままだが。

 

大学生、それも留年するかもしれない可能性を振るえない学生は、漠然と進路や将来の不安がピークになるのが2月だ。そんな自分も3度目の留年になるかならないかの不安に押しつぶされそうだ。それでも進級した時のための就活で自己PRでは強みや夢を語り、中退した場合の生き方を模索する日々が続いている。そんな日々の中で上坂徹さんの『書いて生きていくプロ文章論』がかき集めた本の中から出てきた。300ページほどの少し厚みのある本。自分らしい発信を見つけ、仕事にされてきた方の「書く」とは何だろう、と手に取り読み進めていた。

 

本著は7章からなる構成で「書く」こと、それから「聞く」こと、そしてそれらを通じて「働く」ことを交えながら話が展開されていた。今回は、その中でも書くことに関してハッとさせられたことに絞って綴りたいと思う。

 

これまで、書くことに関して触れてきた情報から、2つに分けることができるのではと、考えるようになった。ひとつはフレームワークのようにある程度の型や手法を伝えてくれるもの。テンプレ、書き方と言えばもっとわかりやすいだろうか。読みやすさ伝わりやすさには論法のように決まったやり方があり、まずは当てはめてやってみよう、という感じだろうか。個人の向き不向きはあれど、成功パターンは存在することを知るには勉強になる。もうひとつが書く以前、気持ちの確認や頭の整理をうながすもの。だれのために、どのように、どうやって、と5W1Hのような構成をこれから文章を綴る前に行おうというもの。今回の書籍は後者になるだろう。

 

ブログ更新が今や趣味と化している自分にとって当たり前だと思っていたことを、本著は丁寧に確認してくれる先生のような存在になった。一方的に発信し続ける習慣から根源的な動機や目的をすっかり忘れてしまっていたことに気づかせてもらった。同じような悩みを持つ同世代と思考を共有したい、悩みを抱えたまま遠回りしてほしくないから自分の乗り越え方を試してほしい、かつてこんな気持ちから変化の軌跡を残しておかなければと書き始めたことまで、読み進めながら思い出すことができた。

 

それなのに、ここ最近の発信はどうした。最初に抱いた動機すら放棄して、ただ自分の思考を吐き捨てるようなことしかしていない。キャッチボールでもなければバトンを渡すことも意識していなかったのだから、誰かに届くわけはないだろうに。そんな反省が後を絶えなかった。

 

「持ち前の性格を社会に還元したい」「同じような悩みを持つ同世代と思考を共有したい」これらは、はっきりいえば承認欲求からくる動機だったかもしれない。誰かのためになることで社会とのつながりを保ちたい気持ちのあらわれだったかもしれない。それでも発信の対象を意識しなくなったのは、それ以上に自己肯定を求めすぎていたからかもしれない。文章には結末や結果の良し悪しに関わらず、必ず終わりへ向かう流れが生まれるだろう。そこに「自分は悪くなかった」「自分はこれからだ」と慰めと励ましで締めくくることが多くなっていた。かわいそうな自分に酔っていただけなのだろうか。ナルシストよりもタチが悪く、近づきたいとは自分でも思えないのだから他人ならなおのことだろう。

 

それから、「同じような悩みを持つ同世代」というのも曖昧なターゲット像だった。もっと細かなそれぞれの違いに配慮しなければ言葉はありきたりになってしまう。特に悩みを抱えた時は、ありきたりな慰めや他人話を受け付けられない状態だと経験としてわかっていたのに。性別や環境や価値観の違いだって千差万別。自分が抱えた悩みに「そんなことで」と言われてしまうほど苦しいことも知っているのに、忘れてしまっていた。実際の経験からわかっていたことも、勝手に当たり前として意識することをやめていたことに気づけた。ターゲットが詳細なほど言葉が届きやすくなることを改めて意識していきたい。

 

これからも自分らしく書くことを続けていきたいと考えている。きっと最後まで読んで頂けた方も少なからず同じような考えをお持ちでしょう。今回の読書から自分らしく「書く」ことと、誰かのためになるように「書く」ことの違いをきちんと振り返り、きちんと分けて考えることからできるようになったと思っている。誰かに届き始める頃にやっと僕らしいリズムの文章ができあがっていくのだと焦らず、また、根源的な動機や目的を忘れず、この学びから心機一転、書くことを通して示していきたい。

 

 

なくてもいいもの、なければいけないもの

お題「#この1年の変化」

コロナ流行のよる自粛ムードは生活様式さえも変えてしまった。集会、式典、イベントなどの「人が集まること」は軒並み中止となった。大学の講義も就活セミナーもその例外なく対面が中止になった。その代わりに「オンライン」という新しい環境が置き換わる形で一気に主流になっていった。

僕にとってこの1年は良くも悪くも発見の多い年だった

そう、良くも悪くも自分にとって「なくてもいいもの、なければいけないもの」を言い訳ができないほど認識させられたと感じる。そんな発見があったのは世の中でも同じように見える。豊かになりすぎていたこと、固定概念や風習にとらわれていたこと、変化や不満に目をつぶって生きていくことが決して「普通ではない」と気づくきっかけになったと思っている。「普通ではない」ことが続いたりそういった環境しか知らないと、いつしかどれもが「普通」にすり替わってしまう。人間が悩み続けたり考え続けることに疲れやすく飽きっぽく上手に適応していまう本能ではあるのでしょうが。

それでも考えすぎてしまう「若さに対する可能性」

大学生になってから考えなくていいものばかりに悩まされることが多くなっていた気がする。学歴、就職、人間関係、人生。他にもあるだろうが言葉にすればざっとこんなものだろうか。20代が「人生100年」のすべてを悔いなく満足に過ごそうと思い描く。なら、選択肢も決断の数も、自身の「若さに対する可能性」から生まれる期待からも無限に増やしてしまった。その多さに身動きが出来なくなっていた。そのうちに目の前のことすら疎かになっていく。段々新しいことにも手が付けられなくなっていく。大きく広げた地図の上で、現在地のマークは落としたインクがにじんで濃くなるばかりの時間が過ぎていく。

「負のループ」といううものは確かに存在する

増やしすぎた選択肢や伴って増えていく決断の数に思考も感情も使い切ってしまい、ガス欠になった頭も体も動かなくなる。かろうじて持ち合わせていた「外向きな明るい性格」でその場しのぎのの助力を求めたり、言い訳を受け入れてもらっていた。その代わりに信用を削っていたのだと気づくのは後になってからのことだが、目の前のことをこなしていくことだけに視界を狭めてピントを合わせていくしか手段を持ち合わせてはいなかった。こんなことは長くは続かない。続けられないと言った方が正しいかもしれない。こういった状態に名前があるとすれば「負のループ」だろう。そして、知らず知らずに足を踏み入れていることに当人は気づけない。「普通ではない」ことが続けば「普通」にすり替わってしまう。自分が思う人間らしさは自ら体現したことでやっと確信したのかもしれない。そして、「負のループ」というものは確かに存在して、その結末は突如として終わりを迎えることしかない。持ち合わせていた性格さえ自然に表現できなくなることで、自身の「負のループ」は終わりを迎えた。自然な振る舞いさえ意識してなければできなくなっていた。そこに割り当てる意識のキャパはもう頭には残ってはいなかった。

なくてもいいもの、なければならないもの

前置きがずいぶん長くなってしまったが、これまでがあったからこそ#この1年の変化に反応して考えを発信することにつながっているから放ってはおけなかった。失敗だと感じる経験やそれに伴う遠回りは人生においてなければならないものだと思うようにもなれた。改めて、この1年で人間関係や生活に絞ってもたくさんの変化と合わせて、そんな分別ができるようになったと感じる。

人間関係

人との接触が制限される環境はこれまで抱いてきた人間関係に対する疑問や不満を再認識する形で、やっと自分の答えは見つかったような気がする。大枠に人間関係としてはいるが、リスクを取ってまで実際に会いたいかそうでないか手間をかけてまで関わりたいかそうでないか、と感染という脅威のおかげで自分中心的な考えのもと分割することができた。リスクはもっぱら感染のことであり、そのリスクは自分ひとりだけではない個人には大きすぎるものだと考えている。それでも実際に会うことを選択する場合が少なからずある。家族で過ごすこと、恋人と過ごすこと、日常において当たり前になっている関係や安定には欠かせない存在を大きすぎるリスクでも切り離せないのだと知ることができた。それから、オンラインで関わることにも手間がかかる。SNSでは写真や文章を選んだり打ち込んだり実際に会ってとるコミュニケーションよりも手間がかかる。また、使用するアプリケーションをそろえたり、操作を覚えたり、そもそもネット環境や設備から準備したりと手間がかかる。それでも関わることが勝るならその手間も惜しまないむしろ共有する時間を快適にするためにむしろ手間をかける。これまでの人間関係は自分にとって複雑すぎたり、近すぎたりしていた。それをこういった状況が一旦ふるいをかける機会になり、思考の輪郭を見つけることができた。

生活

人間関係と違って生活の要素すべてがふるいにかけられたわけではない。だから、人間関係の延長でもある「誰かと関わる生活」に限りたい。これまでも1日に誰とも会わずに生活することが特別苦ではなかった。それに社会全体が同じ時間帯で行動すること自体強制されなければ避けて生活してきた。そんなこだわりが今回で肯定されたような気がする。わざわざ人が多いところに向かい、待ち時間を使い、欲を満たすことや思い出を共有することに重きをおいていなかった。これまでは理解されることも少なく変人扱いされることもあった。そんなことから個人的にはそれだけでもかなり救いなできことだ。それから、マスクごし板ごしのコミュニケーションのやり方や意識といった心遣いだ。人間関係に分類されるであろうコミュニケーションだが、円滑な誰かと関わる生活ためには横断的に語っても差し支えないと考えている。買い物や移動など不特定多数と関わる生活は以前と変化はない。伝わりづらい言葉や読み取りにくい表情は円滑な誰かと関わる生活では大敵になってしまう。それから、過程や様式が感染対策に染まっている。ちょっとした違いはあれどその都度合わせていくことを求められる。これらに心遣いをしていくことはなくてはならないものだと再認識できた。

おわりに

こんな特別な状況だからこそ自分の思考の輪郭を見つけ、なぞる時間ができたと思っている。複雑すぎるもの、多すぎるもの、見えてなかったもの、そういた物事を強制的に浮き彫りにしてくれたのではないか、と社会と自分を区切るようにこれまでを振り返ってみた。まだ続くコロナ感染の脅威に怯えながらも、自分の思考をもっと言葉にできるように考え続けていきたい。「なくてもいいもの、なければいけないもの」を見つけたことがこの1年と言わずこれからの変化になると確信している。また、こういった状況でリスク度外視に他者を求めすぎてしまうことや自分の生活を他人の采配に任せすぎていることを弱さのように思うこともあった。しょうがないでは片付けきれない部分も浮き彫りにしてしまう状況は、自分のことを自分でどれだけコントロールできるかを問われているように感じる。自分にとって強さに当たるものはなんなのか。これから考えなければいけないものかもしれない。

真っ赤な嘘、真っ白な嘘、真っ黒な嘘

妖怪大戦争』という神木隆之介さんが幼いころに出演されていた映画がありました。

 

「嘘」について考える時に毎回思い出すセリフが登場した映画でもあります。

 

「自分のためにつく嘘は真っ赤な嘘、人のためにつく嘘は真っ白な嘘」

 

ブログやTwitterで何度も振り返る、僕の根源的な言葉になります。

 

そんな根源的な言葉を発展してさせる考えが日常的に頭から離れないようになりました。無意識で「自分を隠すためにつく嘘」をつき続けていることが最近の発見でもあり、悩みでもありました。

 

「好きなことを仕事にする」「自分らしさを表現する」をキャッチコピーに「自分主体な生き方を追求していこう」という発信するメディアに触発されて、自分探しをやってみたこともあります。一度自分を見失った経験から、これまでの自分を関わってくれた人たちにまじめに聞いてまわったこともあります。そんな経験をノートにまとめたり、文章にして発信することを続けてきました。

 

これまでの無意識に形成してきた生き方に意識を向けることは、流行のキャッチコピーの裏側をのぞき込むような感覚で時間と覚悟が必要なものだと、かなりの時間と手間をかけてわかってきたつもりです。

 

その道中に「自分を隠すための嘘」で自分をごまかしていることに気づきました。たくさんの人と話してきたことから、自分は人一倍その傾向が強いことも理解できました。

 

無意識に形成してきた生き方には家族、恋愛、友情などのたくさんな関係性から自分の振る舞いの最適解を導いてきたつもりでした。ですが、そのどれにおいても自分が中心になることや自分が誰かに影響を与えることから逃げていたように感じました。無意識になるまで続けていたのは、自分の本音が言えない以外はいつだって誰かの本音を引き出す助力になっていたからだと思います。人は誰だって本音が言いたい、言える関係に良いと評価を与えるものだから、自身も含め僕の本音の所在がうやむやになっていたのだと。

 

いつだって他人ファースト。それが僕の生き方であり、悩みの種そのものだったと気づくことができました。

 

「自分を隠すためにつく嘘」に「真っ黒な嘘」と名前を与えたことで意識することはできた。これからは「真っ黒な嘘」を使わないように振舞っていくために、覚悟と犠牲が必要になってくることだろう。

 

本音を出せる場として機能していた関係性からの卒業。人は変化を嫌う生き物だから、僕自身もついついこれまでのように振舞ってしまいたくなるだろうし、本音を言える関係を手放したくない人から「変わった」「冷たい」「前の方が良かった」なんて言われるかもしれない。それでも心を真っ黒に染めてしまうより良いことなんだと、言い聞かせていくしかないのだから、いばらの道すぎる。自分にとって正しい生き方を模索してしまった結果なのだから、覚悟と犠牲も自分の中で受け止めなければ。

心にブレーキがかかるのは いいやつをやめたい編

「みんなと仲良くしましょう」

 

物心つく頃、どうしてなのか周りの大人たちは口をそろえて求めてきていた。そして、

「みんなと仲良くしています」と記してある通信簿を見る親は、誇らしさをこぼしながら僕を褒めてくれた。この年齢になると、その記憶自体は曖昧なものなっているのだが、褒められること、つまりは「人として良い振る舞い」なのだと盲信的になっていた。

 

同じようなことで「人のせいにしない」というのも、僕の振る舞いをカタチづくる盲信的なものだ。相手が嫌がることをしているかもしれない。相手を怒らすことを言っているかもしれない。誰かを介して直面する心地の悪い状況に対して、まずは自分が悪者かもしれないと考えることを幼いころから求めれていた気がする。

 

これらを疑うこともせずに愚直に「人として良い振る舞い」だと信じ切って、意識することも忘れてしまうほど僕の生き様になっていた。これまで関わってきた人たちもこんなを見続けて呆れながらも「ほんとにいいやつ」と声を掛けられることに満足していた。

 

振る舞いを矯正する大人たち、呆れながら認めてくれる人たち、今はそんな人たちが周りに居ない環境だからこそ、考え始めたことがある。

 

「どうしてこんなにも自己犠牲な生き方で、いいやつなんて言われてたのだろう」

 

新しい環境に入り込む機会がこれまで何度もあった。そして、一度だけ新しく足を踏み入れた時から「いいやつをやめてみよう」と振舞っていた。自分に与えられたり求められる役目を済ませれば、そこから立ち去る。必要最低限なことは話さないし、聞いたりもしない。余計なものがそぎ落とされたように感じた。人から頼み事をされることもない。人の機嫌取りも、評価を気にすることもない。

 

1か月ほど経った頃だろうか、すごく居心地が悪かったのだ。それもそうだよな、20年以上周囲に気を配り率先して声をかけたり、手を貸したり自分にできることは何でもやってしまう。そんな生き方が心にまで染みついて、足枷のようになっていた。

 

ほどなくして、また自己犠牲な振る舞いをし始め、新しい環境に慣れてくるころには、いいやつの地位を築いてしまっていた。

 

僕はいいやつをやめられなかった。

 

 これから「わがままな自分」を認めて振る舞っていきたいはずなのに。自分と他人の天秤が最初から傾いているようにさえ感じてしまう。そもそもこんな天秤さえなければ良かったのに。

 

いき過ぎた「誰かのために動ける」ことをアピールポイントみたいに扱ってきた自分も周囲もなんだか恨みたくなる。

 

いいやつは自分を見失いがち、損しがち、そんなこと小学校の道徳じゃ習わなかったぞ。「人として良い振る舞い」って共通認識のはずだろうに、どうしてみんな辞めてしまうんだ。

 

きっと同じ時間を生きている最中に気づけたんだろうな。隠されてる何かに。ほんとなんだろう。

 

 

 

 

心にブレーキがかかるのは わがまま編

人は「わがままであり続ける」べきだと思うようになってきました。駄々をこねたり、自分優位な思考をしてしまうことは子供らしさの特徴のように扱われています。ですが、「わがままでなくなる」ことが大人に切り替わった証拠のように扱われるのは不満さえ今は感じています。もしかしたらこの思想でいること自体が子供っぽい、大人になれていないと非難されるでしょう。そんなことを理解したうえで僕はこの立場でいることを「わがままに」決断したのですから、もう立派な「わがまま」の仲間入りです。

 

何か物事を決める基準に自分以外がある時点でその決断は少し待った方がいいかもしれません。また、そんな決断を急かされている時はなおさら待つべきだろうと思っています。

 

僕のこれまでを振り返った時に様々な決断に良い悪いをつけるなら、良いとはなまるをつけられるのは自分のことだけを考えていた時、つまりは「わがままになれた」時だったように思います。(元恋人には自分のわがままを理解してもらう努力を怠っていたために何度も喧嘩をしてしまいましたが…。)

 

決断の際に決めかねる原因は考える必要のない誰かのことが気になってしまっているからかもしれません。それか決断の必要のないことを強要されてしまい考えるタイミングがかみ合わない場合も考えられます。

 

この二つに関わってくるのが「わがまま」な子供を矯正しようとする環境だったり、過干渉な母親だったりするからタチが悪いのです。なぜなら自ら選べる力がないときにそれらは大きな影響力をもって本来の「わがまま」な思考に入り込んでくるのですから。

 

自己啓発やビジネス、ライフハック、スピリチュアル系などの書籍を何冊か並べてみると「時間の価値を見直せ」「お金の知識をつけろ」「自分自身を知ろう」などの文言と同じくらい「環境を選べ」とおっしゃっています。

 

自分の生き方に疑問を抱きすがるようにこのような本を手にしてから、これからを考えるような人たちにはもう「わがまま」に環境を選ぶ力が残されているとは、僕には考えづらいです。もっと簡単な処方箋が欲しかったはずなのに肩透かしを食らったような気持ちで本をそっと閉じてしまうのではと思ってしまいます。僕は何度かそうでした。

 

さて、「わがまま」は矯正されて「他人想い」へと変貌をとげ社会の労働力として貢献している人が大勢いるからこそ豊かな社会、安定した経済がなりたつようにも思えてきました。そんなことを教えてくれるのはこれまで浸っていた環境やそこで働きながら育ててくれた親なわけです。だから、自分に合うか合わないか、ではなくて合わせていくことが最低限同じだけの賃金を頂きながら生活できる経験の伝承なのかなって感じています。わざわざわかりきっている最低限の生活を捨ててまで「わがままになる」必要が理解されない部分ではないかと考えられます。

 

けれど、そんな世の中を引っ張るのは圧倒的な「わがまま」な大人たちではないでしょうか。そして、社会や経済を支えている労働者側と違うのは「わがまま」を許容させる力や賛同させる力、これらの能力や類するセンスの有無ではないでしょうか。

 

センスは真似をしようと同じ視点に立つことができても同じモノを捉えたり見据えることは後天的には限界があるでしょう。ですが、真似することで発展が期待できる能力開発に意識を向けていくほうが勝算があるでしょう。

 

僕はたまたま社会出遅れたことでそんな自分をなんとか社会に当てはめようと考える時間がありました。結局はこんな理想論を語ることで社会に当てはめられない自分を肯定したいだけなのかもしれません。ただ、この思考の道中を生きているのは社会や親や他の誰でもない「わがまま」な自分なのだと、はっきり認識している間は続けていきます。

 

今回、心にブレーキがかかるのは、これまでの環境や両親から与えられたものに懐疑心を抱いてしまったという申し訳なさに似た気持ちから自分の思考をこのように書き出すことでした。これまでとこれからどちらが良いとか悪いとかの軸で考えてしまえば必ずどちらかを悪いと考えてしまうのは、やはり心苦しいから僕にはできそうにありません。だから、これまでも理解したうえで自分勝手に「わがまま」に僕はこれから生きてみたいだけなんです。

 

 

心にブレーキがかかるのは 就活(適性テスト)編

オンライン上でSPIを受験しておまけのようについてくる適性テスト。

 

ここで自身の趣向を振り返るような機会を何度も与えられているように感じます。

 

こんな風にとらえてしまうようになったのもやはり親しい腐れ縁のような友人からの一言がきっかけでした。

 

「おまえ、自分が思っているほど他人に関心ないし、人付き合い下手すぎやからな。」

 

なんやねんそれ、まじか、そうなんか、てかなんで関西弁なんや、

 

この一言で自分に対しての他人との関係性に抱いていた評価は暴落したような感覚になったのを今でも思い出すことができるくらいには衝撃的でした。

 

この時までの自分に対する評価というか、人付き合いとか世渡りスキルなどの対人関係の能力は人並み以上にある気で生きていました。

 

そんな僕は大学生活で他人に利用されている感覚やかばってくれるような協力関係を築けなかったり、ましては後輩の妬みの憂さ晴らしに巻き込まれるような人間関係からしか生じないトラブルを立て続きに経験することになるのですが…。

 

当時はやはり環境のせいばかりにしていた、するしかない思考や精神状態だったので「どうしようもないけど、狂わされたわ」なんて被害妄想を繰り返していました。

 

そんな状態にもらった言葉が

 

「おまえ、自分が思っているほど他人に関心ないし、人付き合い下手すぎやからな。」

 

になるんですが。この時目が覚めるというかどんな環境であれこの結果を導いたのは自分の振る舞いだったのではと、やっと当事者意識をもつことができた瞬間でもあったような気がします。

 

こんな出来事からもう2年経とうとしている今では、そんなトラブルによって人生を考え直す時間ができたし、長い付き合いの人からの本音も聞けたし、それらが20代で経験できたのはむしろラッキーなのでは、なんて無理やりハッピー思考ライフに転換できるまでには精神的に復活はできてます。

 

ただ、まだ足りないもの、見つけなければならないものがあるんです。

 

では、僕の生き方はもっとわがままで自分よがりな思考の持ち主なはずなのに、どうしてこれまで他人想いみたいな振る舞いをし続けて、遠回りまでしているんだ。

 

この自分の人格や生き方に対してのはっきりした答えを持ち合わせていないまま、適性テストを受け続けている現状はだめだと感じています。

 

テストの結果は見ることはできませんが、おそらく二重人格のような回答結果を生み出しているのでしょう。

 

長い時間をかけて作り上げたわがままな自分を隠すための他人想い風な生き方は僕にとっては生きづらい生き方だとわかったのに、出来立てのかさぶたのようになかなかはがすことができないのが苦しいです。

 

それにこれまでわがままな自分を隠してきたからこそ見せ方を知らない自分に多少イライラしてしまいます。

 

僕がちゃんと自分を生きていくにはまだまだ時間が足りない、理解が足りない、それでも立ち止まってはいられない、ならば考えなければ、試さなければ、また失敗してでも見つけなければ、僕は幸せにはなれないんだ。

 

「心にブレーキがかかるのは」こびりついた悪習が無意識に邪魔しているだけなのかもしれません。

 

そんなブレーキを振り切って動き出すことがこれからの一歩になるのだろうと思い込んでとりあえずは生きてみようと思います。

 

今回も駄作を生み出してしまいました。加えて、題名とはかけ離れたまとめに読んでくださった方の期待を裏切ったかもしれません。

 

けど、ここでは謝りません。だってここではわがままな自己中な自分を許しているのですから。こんな僕の行く末を見守ってくださる優しい方、今後の更新もよろしくお願いします。