タバコ休めみたいな道中

休んでいる間も命を削るのはまるでタバコのよう

心にブレーキがかかるのは 就活(適性テスト)編

オンライン上でSPIを受験しておまけのようについてくる適性テスト。

 

ここで自身の趣向を振り返るような機会を何度も与えられているように感じます。

 

こんな風にとらえてしまうようになったのもやはり親しい腐れ縁のような友人からの一言がきっかけでした。

 

「おまえ、自分が思っているほど他人に関心ないし、人付き合い下手すぎやからな。」

 

なんやねんそれ、まじか、そうなんか、てかなんで関西弁なんや、

 

この一言で自分に対しての他人との関係性に抱いていた評価は暴落したような感覚になったのを今でも思い出すことができるくらいには衝撃的でした。

 

この時までの自分に対する評価というか、人付き合いとか世渡りスキルなどの対人関係の能力は人並み以上にある気で生きていました。

 

そんな僕は大学生活で他人に利用されている感覚やかばってくれるような協力関係を築けなかったり、ましては後輩の妬みの憂さ晴らしに巻き込まれるような人間関係からしか生じないトラブルを立て続きに経験することになるのですが…。

 

当時はやはり環境のせいばかりにしていた、するしかない思考や精神状態だったので「どうしようもないけど、狂わされたわ」なんて被害妄想を繰り返していました。

 

そんな状態にもらった言葉が

 

「おまえ、自分が思っているほど他人に関心ないし、人付き合い下手すぎやからな。」

 

になるんですが。この時目が覚めるというかどんな環境であれこの結果を導いたのは自分の振る舞いだったのではと、やっと当事者意識をもつことができた瞬間でもあったような気がします。

 

こんな出来事からもう2年経とうとしている今では、そんなトラブルによって人生を考え直す時間ができたし、長い付き合いの人からの本音も聞けたし、それらが20代で経験できたのはむしろラッキーなのでは、なんて無理やりハッピー思考ライフに転換できるまでには精神的に復活はできてます。

 

ただ、まだ足りないもの、見つけなければならないものがあるんです。

 

では、僕の生き方はもっとわがままで自分よがりな思考の持ち主なはずなのに、どうしてこれまで他人想いみたいな振る舞いをし続けて、遠回りまでしているんだ。

 

この自分の人格や生き方に対してのはっきりした答えを持ち合わせていないまま、適性テストを受け続けている現状はだめだと感じています。

 

テストの結果は見ることはできませんが、おそらく二重人格のような回答結果を生み出しているのでしょう。

 

長い時間をかけて作り上げたわがままな自分を隠すための他人想い風な生き方は僕にとっては生きづらい生き方だとわかったのに、出来立てのかさぶたのようになかなかはがすことができないのが苦しいです。

 

それにこれまでわがままな自分を隠してきたからこそ見せ方を知らない自分に多少イライラしてしまいます。

 

僕がちゃんと自分を生きていくにはまだまだ時間が足りない、理解が足りない、それでも立ち止まってはいられない、ならば考えなければ、試さなければ、また失敗してでも見つけなければ、僕は幸せにはなれないんだ。

 

「心にブレーキがかかるのは」こびりついた悪習が無意識に邪魔しているだけなのかもしれません。

 

そんなブレーキを振り切って動き出すことがこれからの一歩になるのだろうと思い込んでとりあえずは生きてみようと思います。

 

今回も駄作を生み出してしまいました。加えて、題名とはかけ離れたまとめに読んでくださった方の期待を裏切ったかもしれません。

 

けど、ここでは謝りません。だってここではわがままな自己中な自分を許しているのですから。こんな僕の行く末を見守ってくださる優しい方、今後の更新もよろしくお願いします。