心にブレーキがかかるのは 恋愛編
前の彼女と別れてから「恋愛」に対して納得いかないことがある。
周りの他人から家族とは違う近さになれたのに、別れることになると他人以上に離れてしまうことだ。
「何言ってんの?」と自分でもツッコミをいれたくはなるが、納得いかないからしょうがない。
「恋愛」という男女の仲に対しての話は、性欲で片付けたり、機会がなかったり、はなから興味がなかったりと千差万別な価値観から逃れられない。
だからこそなのか、自分の納得がいく答えを持つ人にまだ出会えたことはない。
離れてしまわない確証が欲しいわけでもないが、離婚した後も連絡を取り合うような関係に惹かれたりもする。
一度でも法的根拠をお互いに交わしたにも関わらず、手放すことを受け入れるような関係に美しさすら感じてしまう。
そういえば「そもそも恋愛しなければいいのではないか?」と悩みの根本を消してしまえと提案してくれる人もいた。
僕が言って欲しいのはそうじゃない。しかし、文面にしてみると、なんてわがままなのだろう。
人を好きになる感情は人並みに持ち合わせているつもりだ。それを活かせないのが悩みの根本なのだと伝えたことは何度かある。共感は今のところ得られた記憶はない。
何が感情をこんなにも邪魔してくるのか。端的に言いあらわすならば、不安と妄想だろうか。
不安は先に言ったとおり離れてしまうことに対してだろう。
それを煽ってくるのがひどい妄想だ。
自分が好きかもしれないという相手の人となりから、様々な妄想をしてしまう。その妄想の結末は、大体が「さようなら」になる。
このことに対して「相手次第じゃないか!」と熱血に親身になって僕の妄想を否定し目覚めさせてくれようとした人がいた。
悪いけどそうは思えなかった。相手に期待して裏切られて正気を保てるだけのエネルギーを持ち合わせていないから。
いいや、そんなエネルギーを残さないほど相手に対して集中してしまうからかもしれない。
普段周囲の不特定多数に無意識のうちに気を配ってしまう性分。その無数の矛先を特定の個人に向けるというのは全集中なのだろう。
こんなところで自分が「恋愛」をしない理由や経過を書き連ねてみたら、何か気づきでもあるかと思ったけれど、さらに納得してしまった。
我ながらひどい価値観を形成してしまった。
この文章をみた誰かが首を縦なり横なり振ってくれたら、それはそれで一興かなって。
ただ、自分とは違った理由で「恋愛」しない人には背中でも叩きながら言ってやりたい。
好きだと思った感情は尊いけど、更新してこそだと思うよ!!知らんけど!!
〜追記〜
久しぶりの投稿、乱調な長文にお付き合いいただきありがとうございました。自分の過去と向き合うために言葉にして向き合う日々が多かったのですが、手書きで終えてしまうことがここ最近多くなりブログから離れていました。関係ないかもしれませんが、個人の発信に制限がなくなった現代です。自分の発した何かが誰かの時間や思考に入り込んでしまうことをひどく恐れていたのも離れていた理由でもあります。それでも、こんな人間もいるんだよって言い続けるしか、遠回りな自分の承認欲求を満たす手段として残されてないのだとわかりました。わがままな発信のひとつとして見過ごしていただけると幸いです。