タバコ休めみたいな道中

休んでいる間も命を削るのはまるでタバコのよう

心にブレーキがかかるのは 恋愛続編

明けましておめでとうございました。年末年始はアルバイトの長時間勤務で、気づけば新年みたいな感覚でした。

 

昨年のブログに関しては、前回から何度か下書きを残しながらも、書ききれない、まとまらない、何をここに残したいのかはっきりしない、そんな自分に嫌気さしながら更新できずじまいでした。

 

今年は就活で自分のことをまとめる作業が多くなり、言語化に費やす時間は確保していくことを、ブログ活動の抱負にします。

 

さて、恋愛の続編を書かなければという使命感が何故かふつふつと自分の中で芽生えてきました。きっかけは単純で数年ぶりに好きな人が出来たことでした。

 

自分にとって好きな人ができる感覚が精神的な復活の兆しのように感じています。まさか、やっと、誰かを好きになれるほど落ち着いたのかと。

 

久しぶりに抱く感情に高揚しすぎて、けれど扱いを忘れてしまっていて、手始めがアルバイト先の女の子に宣言してまう奇行にはしってしまいました。

 

それから、母親との関係性の見方を改めてみようと思えたのも兆しのひとつなのかもしれません。

 

恋愛感情を精神的な復活といったのも、これまでに狂ってしまうことが立て続けに起こり、それらに立ち向けなくなってしまったことから始まります。

 

サークル活動に尽力していましたがメンバーの協力は得れず空振り続きでひとりですべてやっていたのを、留年をきっかけに運営の助っ人に入れたはずの同級生はかなりの粘着質な暴君で理不尽な拘束されることが増して時間を搾取される日々に変わり、面倒見ていた男の後輩の妬みを買うことがあり女子マネに対するセクハラのうわさを広げられ、無実だったセクハラをちゃんと無実だと提言してくれる協力を周りから得れず、同時に両親、学校に弁明する毎日に疲れて休学することを衝動的に選んで、ストレートの大卒とは違う生き方を模索しながらも、母親の大卒コンプレックスに歯向かえず、気持ち新たに大学生活を送っていると、今に至りますね。

 

サークルでの問題は主観的な状況証拠しか用意できないからややこしいですね、、、。

就活でもこれまでの経緯に言及されることが増えてるので、改めてまとめてみようと思います。

 

端的に言いまとめると、生き方が下手すぎました。

 

話を戻しますと、

 

他人に振り回される環境に長いこと浸ってしまうと、自分の時間や気持ちを守ることにしか意識が向かなくなってしまうんですよね。だから、自分以外に感情や時間を使うのは労働の一環でしか難しくなって、人を好きになるような行為に一線引いてしまっていました。

 

自分の人生を生きていない僕が誰かの人生に関わることは失礼なことだし、他人に振り回されるくらいの弱い僕が抱く気持ちはどうせ脆いものだからそもそも構築してはいけないんだ。

 

そんな思考が様々な感情にふたをするような感覚で、それなら今は自立できるように努力しなきゃいけないだろうと自分だけのこれからのことばかりに集中しようとしていました。

 

それから、過干渉でわがままな母親の言動に僕の一家以外を巻き込むのは嫌だなとふつふつと考えてしまうことが少なからずありました。

 

兄貴は生計が自立してからは、父親は離婚してから、母親との連絡を遮断しています。各々に理由を聞いてみると、母親の固定的な価値観の押し付けと煽るような口調に話が進まないし折り合いをつけられないから連絡の必要性が感じられないと言っていました。

 

母親の矛先は狂っていた、自立していない僕に向くわけで、ふつふつ浮かぶ最悪な空想が本物にならないように恋愛や結婚の類の話は全面的に否定する態度を取り続けていたんです。

 

母親の言動に直接的な影響を受けないためにもまずは自立した精神と生計が必要になってくるのだと、ならそのための対策をあれこれやってみるしかないのだろうと前向きに考えることは多くなりました。

 

結局その姿勢自体に母親が影響していることも理解しながら、あくまでも父親や兄貴のように遮断してしまうような関係になりたくないと考えています。

 

 仮に母親が毒親と定義される人だとしても、一家が機能不全家族だったかもと懸念しながらも、家族という単位で結ばれた現実を受け入れていきたいと思っています。

 

そして、そんな現実を理解してもらえる誰かに恋愛感情を向けられる日がいつかくればこの葛藤や決意も報われるのだろうと、少しのわがままと期待を抱いています。

 

恋愛続編としていたのにあれよあれよと長文の過去回帰的な内容になってしまいました。こういうところにも生き方の下手さがにじみ出ているような気がしてなりませんね、、、。