真っ赤な嘘、真っ白な嘘、真っ黒な嘘
『妖怪大戦争』という神木隆之介さんが幼いころに出演されていた映画がありました。
「嘘」について考える時に毎回思い出すセリフが登場した映画でもあります。
「自分のためにつく嘘は真っ赤な嘘、人のためにつく嘘は真っ白な嘘」
ブログやTwitterで何度も振り返る、僕の根源的な言葉になります。
そんな根源的な言葉を発展してさせる考えが日常的に頭から離れないようになりました。無意識で「自分を隠すためにつく嘘」をつき続けていることが最近の発見でもあり、悩みでもありました。
「好きなことを仕事にする」「自分らしさを表現する」をキャッチコピーに「自分主体な生き方を追求していこう」という発信するメディアに触発されて、自分探しをやってみたこともあります。一度自分を見失った経験から、これまでの自分を関わってくれた人たちにまじめに聞いてまわったこともあります。そんな経験をノートにまとめたり、文章にして発信することを続けてきました。
これまでの無意識に形成してきた生き方に意識を向けることは、流行のキャッチコピーの裏側をのぞき込むような感覚で時間と覚悟が必要なものだと、かなりの時間と手間をかけてわかってきたつもりです。
その道中に「自分を隠すための嘘」で自分をごまかしていることに気づきました。たくさんの人と話してきたことから、自分は人一倍その傾向が強いことも理解できました。
無意識に形成してきた生き方には家族、恋愛、友情などのたくさんな関係性から自分の振る舞いの最適解を導いてきたつもりでした。ですが、そのどれにおいても自分が中心になることや自分が誰かに影響を与えることから逃げていたように感じました。無意識になるまで続けていたのは、自分の本音が言えない以外はいつだって誰かの本音を引き出す助力になっていたからだと思います。人は誰だって本音が言いたい、言える関係に良いと評価を与えるものだから、自身も含め僕の本音の所在がうやむやになっていたのだと。
いつだって他人ファースト。それが僕の生き方であり、悩みの種そのものだったと気づくことができました。
「自分を隠すためにつく嘘」に「真っ黒な嘘」と名前を与えたことで意識することはできた。これからは「真っ黒な嘘」を使わないように振舞っていくために、覚悟と犠牲が必要になってくることだろう。
本音を出せる場として機能していた関係性からの卒業。人は変化を嫌う生き物だから、僕自身もついついこれまでのように振舞ってしまいたくなるだろうし、本音を言える関係を手放したくない人から「変わった」「冷たい」「前の方が良かった」なんて言われるかもしれない。それでも心を真っ黒に染めてしまうより良いことなんだと、言い聞かせていくしかないのだから、いばらの道すぎる。自分にとって正しい生き方を模索してしまった結果なのだから、覚悟と犠牲も自分の中で受け止めなければ。