タバコ休めみたいな道中

休んでいる間も命を削るのはまるでタバコのよう

ひとりじゃ生きてられない症候群

小さい頃からたくさんの夢を描いてきた。そこだけは平凡な子供の1人だったなって思わせてくれる。

 

けど、中学生くらいかな。

 

描き始める夢は、どれも「誰かのためになる」ことを最終目的にし始めていた。

 

いつからか、常に周囲が笑顔であってくれることを1番に過ごすクセが染みついていた。

 

人間関係も恋愛も勉強も、すべてにおいて僕が頑張れば周りが笑顔になるなら頑張れるわくらいの感覚。

 

これに違和感を持ち始めたのは大学生になってからだったか。

 

就活のセミナーなんかで「主体性」「自主性」という言葉を筆頭に、「自分軸で考える」という視点にに出会ってからだろう。

 

それから僕が手にする情報には「自分がどう楽しむか」なんてニュアンスのものが溢れていた。

 

大学に進学するにあたって僕が笑顔にしたかった周囲はかなり減った。

 

「しょうがない人生そんなもんさ」

 

最初は一度離れた人たちでもまた会うときに僕を見て笑顔になってくれるように、新しく出会えた人を笑顔にできるように頑張ればいいじゃないかなんて考えてた。

 

一度離れた人たちとそんなに頻繁に会えるわけでも、新しい出会いに恵まれることも叶わなかった。

 

そしたら「周囲を笑顔にしたい」って気持ちがどんどんすり減っていく。僕の生き方を否定されていくような気になっていった。

 

いつも誰かのために頑張ってきたのに、その誰かはもう見当たらない。

 

自分のために生きるって言っても、今までしたことないからやり方がわからない。

 

僕はどうしたらいいんだろうか。

 

生き方に悩みながらズルズル今は大学5年生。

 

もう十分に悩んだ。

 

いまさらだけど、もう過去の自分を受け入れてやろうと覚悟出来るくらいにはなれた。

 

きっと僕は

 

「ひとりじゃ生きてられない症候群」なんだ。

 

もう十分に悩んだ、考えた。

 

生き方に正解なんてないのだろう。

 

だからこそ最適解を現状ごとに見つける必要があるのだろう。

 

もう十分に悩んだ、考えた、そして見つけた。

 

「ひとりじゃ生きてられない症候群」の僕は「主体性」を持って誰かに頼って生きていけばいい。

 

自分のためであって誰かのためになる、誰かのためであって自分のためになる。

 

そんな生き方しかできないなら、そんな生き方を全力でやってみようと思う。