タバコ休めみたいな道中

休んでいる間も命を削るのはまるでタバコのよう

辞めなきゃ症候群を辞めた話

人間の成長は、当たり前の中にあるものへ疑いの目を向け続けることであろう。

 

無意識に蓄積してきた固定概念や悪い習慣を意識することから自身の変化は始まる。

 

たくさんの本を読み、上記のような言葉を何回も目にしてきた。そして、「このままではダメだ!僕も変わるんだ!」と感化された1人だ。

 

これまでの人生を振り返って、自慢できるような成功体験が無いのなら、今までの生活を続けることは無意識に成功から遠のく何かを続けていくことに他ならない。

 

と、言う気づきを得て、生活の中から自分のクセみたいなもの見つけ出そうと意識し続けてきた。

 

ここですぐに問題視してきたのが「タバコ」だ。

 

近年、煙による副流煙の影響やタバコ休憩による生産性低下、大学内禁煙化、2020年のオリンピックに向けて飲食店での喫煙禁止など、

 

タバコ、喫煙者への風当たりが次第に強くなっているのを感じている。

 

それに加えて、「タバコによる多幸感は一過性のものであり、手に入れた瞬間から減っていく無限ループである」とか

 

「喫煙者は手早く報酬を受け取る思考に陥りやすくなり、成長を感じるような長期的な報酬を待てない」なんてことを情報として受け取ってしまった。

 

こんなことを知ってしまったからより一層、タバコを「辞めなきゃ」と毎日のように意識するようになっていく。

 

ただ、ここで自分の中に反骨心のようなものが芽生えていることにも気づいた。

 

自分らしくいられる時間をタバコでしか生み出せないのなら辞める必要ないんじゃないのか。

 

ここでタバコを辞めてしまったら、世の中の流れに乗ってしまうことになるのではないか。

 

タバコに手を出す度に、タバコを辞めない言い訳を考え始めるようになっていた。

 

タバコを辞めてみたい自分と辞めたく無い自分の両方が、常に自分の中に存在する状態が長いこと続くことになる。

 

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そんな葛藤の中、出会った本。

筆者もここで伝える「減らす技術」を駆使して禁煙を達成した1人であるというのに、今の葛藤のヒントを得ようとした。

 

2極化した僕に一番響いたのは、「自分をじらす」ということ。

 

「じらす」はちょっぴりエッチな感じがするのも、印象に残った理由なのかもしれない…。

 

何かに対してやってみたい、辞めてなきゃ、とどちらかの感覚を持った時にすぐには手をつけない。

 

自分なりの期限を設けて、それまでじっと手をつけるまでのことを考える。

 

それがやってみたいことならば、何を目的や目標にしようか考えたり、どんなやり方があるのか、来るべき期限を楽しみにしながら準備をする。

 

それが辞めなきゃいけないことならば、来るべき期限まで前向きに、しっかり楽しんでからきっぱりと辞めてしまう。

 

今の僕は期限の前、つまりタバコを楽しんでいる。それと同時に何をしている時間が充実感を持てるのか、代替のことも探している。

 

もうすでに今までの禁煙宣言とは違って、後ろめたくタバコを吸うこともしていない。むしろ、次は何をしてやろうかなとワクワクしている自分がいるのに驚いている。

 

辞めなきゃ症候群は僕だけのことでも、タバコに限った話でもないはずだ。

 

生活習慣で辞めなきゃいけないと考えながらも、何かを辞められない人はいるはずだろう。

 

そんな時に「自分をじらす」ことを試してみて欲しい。

 

そして、来るべき期限まで辞めなきゃいけない気持ちを忘れて、のめり込んでみる。

 

きっと満足して、次の辞めるに取り組めるはずと僕も信じている。