タバコ休めみたいな道中

休んでいる間も命を削るのはまるでタバコのよう

年度という区切りを借りて

久しぶりの更新で、語尾がですますなのか、であるなのか忘れてしまってる。

 

2019年になって始めた日記をつける習慣をつけたくて、ブログは疎かになってしまってた。

 

いや、むしろ、新しいことを始めるためにブログを辞めてみたんだ。

 

ブログに注いだ力を日記の習慣に向けることで、3ヶ月続けることが出来たんだと思う。

 

もう立派な僕の一部にすることが出来た。

 

さて、今日から新しい年度が始まる。

 

特に新入生でも、新社会人でもない自分には決して特別でもない区切りをどうにか特別な物として扱いたくなった。

 

それでブログ書くという習慣をまた始めるにはちょうどいいと、少し借りることにした。

 

人の命には生と死くらいしか本来なら区切りはないだろう。

 

昔の人がいつから年度という区切りを作ったかは知らないが、大勢の人がこの区切りを認知してる。

 

おそらく、昔から人は誰かからもたらされる区切りを生と死以外のきっかけとして欲しかったのかもしれない。

 

そんな僕も他人的なきっかけを欲しがった1人なのだろう。

 

人との出会いや別れ、肩書きの変化、色んなものが今日からみんな一斉に変化させられる日があるのはなんだか考えれば考えるほど面白い。

 

心に新しい気持ちまでわかせる今日という日をどう過ごせるのか、と考えるだけでなんだか楽しくなってくる。

 

僕からすれば昨日と今日で別人になったわけでも、世の中が大きく変わるわけでもないのに。

 

新入生として迎える今日、新学年として迎える今日、新社会人として迎える今日。

 

僕にとって休学の更新をする必要が増えたりするだけで、また変わらずラーメン屋でバイトをするだけなのだ。

 

多くはそんな区切りによって「新」という肩書きをつけた人たちを見て、また歳をとったなとかあの頃はとか自分の内側に視線を向ける日でもなかろうか。

 

せっかくみんな一緒な時間の区切りを借りないてはない。

 

僕も今日から「新」自分として勝手に生きても誰にも迷惑はかけない。

 

生と死だけの人生よりは多少気持ちも高ぶるのではなかろうか。

 

今日からどんな「新」自分になれるのか。

 

年度という区切りを借りて見つけてみたい。