興奮と普通、たまに不安 Day 4
今日久しぶり校内で保健室の先生とすれ違った。
休学する前、復学した直後、そして今日。
僕の変化を遠くで観てくれていた人のひとり。
そんな人に僕は、自分の言葉で自分のことを話せるようになっていた。
今日1番の驚きだったかもしれない。
休学前心配して、励ましの声をかけてくれた保健室の先生に
— ハロルド (@buta_753) 2019年10月30日
「今、ワクワクしてます!」
ってやっと言えるようになった。
自分のしたいように、
したいことが手につくことって
当たり前なはずだけど、
したくてもできない、
そもそも何がしたいかわからない
そんな状態になったからわかる幸せ。
そして、保健室の先生は
「今の笑顔は本当に素敵だよ!」って
お世辞だとしても、真っ直ぐに受け止めて、すごく嬉しかった。
以前のように愛想笑いが上手く出来ない実感ばかりで、「これが本当の自分なのか、さえないやつだな」って考えることもあった。
けど、今の笑顔は愛想笑いではない。それだけで僕は満足している。偽りのない笑顔ってすごく楽なんだなって。
それから、盲目的に当たり前と思っていた普通が、改めて普通に出来る日常を過ごしている。
簡単に言えば、「適当に欲があって、その欲を叶えるために何が出来るか考えて、実際にやってみること」かな。
一度でも「何もしたくない」状態に陥った人ならわかって頂けるだろう。
「好きなことを好きなように、とりあえずやってみること」っていうのが、いかに普通であって普通じゃないのか。
まず好きなこと、したいことが簡単に見当たらない。「何もしたくない」ってところに落ち着いてしまう。
こうなると僕の普通はどんどん「何もしない」に変わっていく。
好きなことは何もしないこと、
したいことは何もしないこと、
やりたいことは何もしないこと。
けど、小さい頃には、ちゃんとしたいことがあって、失敗したりしながら、楽しくやっていた時期があるから
「何もしない」という普通は、自分が無価値のように思えてしまってしょうがなくなる。
僕は休学という時間を使って「無価値な普通」もちゃんと「自分にとって普通」だと受け入れられるようになった。
本当に3日くらい何もしない。寝ると食べるを繰り返すだけ。すると、急に何かしたくなってくる。
そして「何かしたい」っていう普通を受け入れられるように、今度は「何なら出来るか」って考えるようになった。そらから、頭に浮かんだものをとりあえずやってみる。
早寝早起きしてみたり、ショートスリーパーになったり、散歩したり、バナナ食べまくったり、筋トレしたり、アニメ観たり、読書したり、バイトしてみたり。
初動が楽なものを手当たり次第やってみると、これまた急にだけど、派生的に気になるものを発見出来た。
そこからは「気になる→どうやったら出来るか考える→やってみる→実際どうだった?」をひたすらに回していく。
途中飽きちゃうものは振り返らずに、回し続けてみて、今では読書と散歩は素直にしたいと思うようになって、趣味と言えるほどこだわりを持つことも出来た。
「普通じゃない普通」から離れたから、
「普通じゃない普通」を今では普通に出来る。
だから、休学前以上に興奮した日常を送っている。ワクワクが止まらない状況が継続的に叶ってる。
なんたって、したいことをしてるんだから。
それでもしたくないこともあるし、したいことばかりやってて良いのかって不安になる。
だけど、頭の中では不安と興奮はほぼニアリーイコールな反応らしい。
「興奮していることには変わりねぇ!」
「したくないことの期限が迫ってくるけど、興奮しながらやってる俺すげぇ…。」
かなりポジティブに、そして冷静に、かなり前倒しで終わらせて、もっとしたいことをしよう。
無限にわいてくるしたくないことに、今のところ上手く付き合えている。なったって、したいことを邪魔されたくないからね。
「自分の欲」と向き合って、前向きになれるとは思ってなかった。欲との付き合い方が変わったとも言えるのかな。今は欲があるから生きていられる。そんな気がする。