タバコ休めみたいな道中

休んでいる間も命を削るのはまるでタバコのよう

生活と他人、それからおしゃべり Day5

学校から帰って、寝て、真夜中に起きる生活が2週間くらい続いてる。

 

率直な感想は、1日がクソ長く感じる。

慣れるまで、慣れてから定期的に、体調が優れない時はすこぶる悪いから、むしろ無駄じゃないかってなることも多かった。

 

まあ、それを除いては、食欲と睡眠欲に対してすごく素直になれる生活だとは思うかな。欲に従順になれるというか、学校の縛られた時間では活動してないから自分優位というか。

 

割と満足感の強いこの生活もあと少しでおさらばで、お金がどうしても足りないからバイト始めちゃおって。

 

お金がゼロになる前に備えるみたいな、後々に重荷になる不安を先送りしない方がいいかなって。

 

やっぱり、最低限のお金があってこそ、心の自由を求めるべきなんじゃないかと、僕個人の意見を遂行するまでです。

 

えーっと、そう、おしゃべり。

人って周囲の人へ関心はあっても関与はしないみたいなところがあると思うんです。

 

けど、人への関心って発言や行動によってしか解消されないものだと思ってる。関心の共有とかは仲間内で出来るかもしれないけど、あえて「はじめまして、こんにちは」なノリで気になる人に声掛けたり、そのまま質問してみたりはあんまりしない気がする。

 

昔から自分にはそういうのが周りと少しズレてて、誰とでも仲良くしてた子供だったな。よく母親から「知らない人にはついていかない」的なお叱りを受けてましたね。

 

叱られすぎて、最低限のグループ意識を共有している人くらいに言動は控えるようになったけど。

 

やっぱり、人への関心を持つことは相変わらずで脳内処理が半端ないですね。

 

まあこんな人格なので、今の授業中やら学内ではほとんどしゃべる人が居ないんですよ。

 

歳下の学生と自分との間に、同じ大学生ってグループ意識は共有出来てなさそうで。

 

こないだ試しに声かけてみたら、久しぶりの会話で空回りしてしまって、余計にヤバいやつ感を生み出してしまった。

 

まあ、現状ボッチだとしても、それは周囲と自分の共有意識が上手く作れないことが原因なのかと。

 

だから、決して、自分の人格がダメとかではなくて、すれ違いみたいなもので、自分と周囲の歩み寄りがうまくバランス取れてないことが問題だろって。自分は悪くないとか肯定しながら生きてます。

 

ただ、おしゃべりにはすごいチカラがあるとずっと思ってるんです。

 

自分にはない尺度、角度、感覚で物事を捉えていることに気づけます。

 

自分の使う言葉やとる態度が相手にとってどう伝わるのかをリアルタイムで瞬間的に知ることもできます。

 

要は、自分ひとりでは見えない、気づけない感覚をおしゃべりでは手に入れられるんですよね。

 

まあ、おしゃべりの良いところばかり見ればということにはなりますが。

 

どうしてこんな風に思うようになったかというのも、先日スクールカウンセリングに行ったからなんです。

 

休学する直前に行き出して、復学したことを報告したいなと。

 

先日では、休学に至った経緯や近況の心境をメインに話したんですよ。

 

その休学に至った経緯と言うのを話すとすごく笑ってくれました。僕にとってはその笑いがすごく嬉しかったんです。

 

当時すごく辛かったけど、今となっては誰かにとっては笑えてくる経験だったのかもなと。そう思えてくると、僕の中で辛かった経験は、辛かったけど笑える経験に変わったわけです。

 

スクールカウンセリング自体の目的はよくわかってないんですが、おしゃべりのスゴさはこの時に1番感じましたね。

 

不安や悩みって自分の視点からだけはやっぱり見えないものが多いから、ひとりで俯瞰的に見れないなって思う人はおしゃべりしてみると少しは楽になるんじゃないかと。