タバコ休めみたいな道中

休んでいる間も命を削るのはまるでタバコのよう

時間と関係、それから気持ち Day 7

留年から休学にかけての2年間、僕には魔法がかかったみたいに時間が止まってしまってた。

 

人からの急かされる圧力や突きつけられる現実、裏の取れない虚言によって、僕の思考は完全に停止状態。むしろ、最悪のケースを想像し、あえてそっちに向かう言動を無意識に選択、実行する毎日。

 

当時の僕は目の前にある世界を壊したくて仕方なかったんだと、今ならなんとなくわかる。

 

やりたくないことをやらなきゃいけないと思い込んで、いや思い込まされて、最終的には操り人形みたいになってた。

 

自分を見失って、自分を探して、自分が戻ってくるまでに2年。

 

僕の時間だけ止まってた。

 

正確には流れる時間の中で、僕の立ち位置だけ前にも後ろにも進むことなく、ただ周りが動いている姿を遠く後ろから眺めるしかなくなった。

 

遠くに行ってしまった人たちになんて声をかけたら良いのか、なんて立ち振る舞いをすれば良いのか、色んなことが分からなくなった。

 

下向いて見える景色には自分の足元しか見えてはこない。2年間も立ち止まったままの足元しか見えてこない。

 

止まったままの自分では、遠くなってしまった人たちがもっと遠くに、姿も見えなくなってしまう。

 

まずは、動けないままの自分とはおさらばしないと。だから今は、自分の足を前に動かすことに集中しよう。今度は自分のペースで、自分らしい一歩を少しずつ前に出していけば良い。

 

そしたら、下向いてばかりじゃ足は出しづらいことにも気づいた。前を向うと顔をあげようともしよう。

 

そしたら、遠くの人たちの中にはこっちを振り向いて手を振っていることにも気づいた。

 

精一杯に手を振り返したらいいじゃないか。

振り方なんて忘れたけど、思うようにやればいいじゃないか。

 

追いつけ追い越せは無理でも、そのうち声が届くくらいには近づけるんじゃないかって思いながら今日も歩んでる。

 

僕は逃げ出した時、誰の言葉も素直に受け止められなくなっていた。ねじれた受け止め方しか出来なかったから、僕が発する言葉もねじれて受け止められると思って、何も言えなくなった。

 

それでもちゃんと待ってくれてた人がいた。僕が言葉を発するのを見守ってくれる人がいた。その当時から心配してくれていた人は、僕の言葉をありのまま受け入れようとしてくれていた。その姿勢がわかった時、すごく嬉しかった。

 

時間が過ぎて、遠くに行っても振り返ってくれる人たちがいる。そんな温かい人たちと関係を築いてた以前の自分が誇らしかった。

 

その人たちの気持ちが以前と何にも変わらないことに、僕にとっては励みになってる。今度は僕が復活しました報告と、前に進んでる事実を手土産にしたいなって頑張れる。