タバコ休めみたいな道中

休んでいる間も命を削るのはまるでタバコのよう

した方がいいかな、を自分からやってみる。

休学が終わるまであと2ヶ月を残す、今日この頃。

 

僕は人間として変われたのか、と自問を繰り返すようになった。

 

そして、胸を張って変われたと思えることは、少しづつ増えてきた。

 

その1つにまずは自分からやってみる。

 

生活していて、何か困ってる人を見かけた時、自分に出来る範囲で声をかけたり、手を差出せるようになれた。

 

些細なことでもいい。

 

コンビニのレジで、僕より先に待っている人が清算のトラブルで待っている時に一声かける。

 

狭い階段で、疲れてゆっくり歩いている人の後ろに来たら、焦らさないように僕もゆっくり歩く。

 

僕は喫煙者なので、喫煙所でライターがなかなか見当たらない人にそっとライターを差し出す。

 

そんな些細なことを自分から出来るようになった。

 

自己満足なことばかりかもしれないけれど、僕の一声、行動でその場が和めばいいなくらいの感覚。

 

きっといつか誰かの人生を左右するような場面に遭遇した時、自分なら何が出来るか考えて、動ける人でありたい。

 

どんなことも練習と考察の反復で慣れていくものだと思う。

 

まして自分の体を動かすことに関しては、いざやろうと思った時に体はすぐには動いてくれないもの。

 

だから、日常の些細なことには、自分なりに自分から出来るようにしていきたい。

 

よく都会の人は冷たいとか、田舎の人はおせっかいだなんて耳にする。

 

そう思えるのも、ちょうどいい距離感で誰か他人が居てくれるからこそ感じられる不満のように思う。

 

そんなちょうど良さは人それぞれで、まして初対面な偶然出くわした人との間では共有し難い情報でもある。

 

そうであるからこそ、普段から自分と不特定多数の他人との間にちょうど良さの見つけ方は訓練していくしかない。

 

僕は昔から「優しくて、いい人」と言われ続けてきた。自己認識は薄かったが、今もそう言われることが多いのは、他人とのちょうど良さを保たなければいけない宿命なのかもしれない。

 

そんな宿命を背負ってしまったのなら、せめて、他人とのちょうど良さを上手く掴めない人に向けて発信していけたらいいなとも思えてきた。