タバコ休めみたいな道中

休んでいる間も命を削るのはまるでタバコのよう

半年振りの登校、僕はこれからだ。

半年前、逃げるように休学に入り、それから初めて大学へ赴くことになった。

 

元々決まっていたゼミと専攻を変更するために。

 

そもそも建築系に進んだのも、大きな建築物に携わりたかったから。そして、それが叶うと聞いて構造設計を専攻するゼミにお願いして配属してもらった。

 

だけど、全く楽しみを見出せずにいた。

 

公式の理論を理解することや強度計算をしまくる日々は、難しいことを出来るようになっている感覚にはなれた。だけど、この日々を活かしてどう働くんだと悩みや不満が募るばかり。

 

結局、別のことで精神的に参っちゃって休学をせざるを得なかったのは、タイミング的に良かったのかも知れないと、今だから思える。

 

休学の間は、これからどう生きていくのか、どう働きたいのか、大学生としてどうありたいか。

 

答えのないことばかり考えていた。

 

こんなことを考える時間があったからこそ、僕の人生はこれからだと、思えた理由でもある。

 

そう考え続けた結果、はっきりではないがわかったことがある。

 

作業のような毎日を研究室で過ごし、さらなる知識を求めて院に行くことが美徳している教授の元では、僕の求める生き方や働き方は出来ない、だろう。

 

そんな気がしてきた。

 

1人で机に向かうより誰かと話し合っていたい、1つの専門で勝負するより幅広く意見出来る人でありたい。

 

究極的には人と関わり続けられる人生でありたい。

 

僕が追い求めるものは、そんな欲求を突き詰めた所にある気がする。

 

専門的な知識を培うために修行のような毎日を送ることを卑下にはしていない。むしろ、同じ道を歩むはずだった学友たちが今も研究に励んでいるのは尊敬しても足りない。

 

ただ、僕には向いてなく、したいとも思えなくなったに過ぎない。

 

やりたいことがまるっと変わってしまうは、なんだかとても僕らしい気もする。

 

そして今日、僕が望むものを手に入れる一歩として大学へ行く。

 

まさか新しい気持ちを抱きながら、また大学に向かうことが出来るなんて思っていなかった。

 

人間少し遠回りくらいが面白いのか、遠回りするからこそ人間味が出るのか。

 

何にせよ、僕は遠回りしながらも確かに前に進めているってことを実感している。

 

過去に逃げ出したから、考える時間が出来た。

考える時間で、ひたすら自分のことを考えた。

そしたら、必要な次の一歩が見えてきた。

 

トラブルや挫折は、当人が成長したと実感出来る代物にまで昇華してしまえばいい。

 

時間はかかるかもしれない。

 

けど、いつまでも過去の一点を強く恨み続けることに執着して、そこから前を向かなくなることがより危ないだろう。

 

休学で得たものは机上にはないものばかり。

 

人間として成長したならいいじゃないか。

 

なんたって、僕はこれからだ。