タバコ休めみたいな道中

休んでいる間も命を削るのはまるでタバコのよう

失敗を生かすも殺すも自分次第

ひとりじゃ生きてられない自分を卒業するために悩みや感情や、自分の内側のことは自力でなんとかしてみようと考えてた頃が懐かしい。

 

ひとりじゃ生きてられない症候群 - 他人事な自分の人生(仮)

 

自分ひとりで何かしてみようと思い立ったのも、誰かと関わるとまた振り回されてしまう失敗から逃げていたんだろう。

 

そんな気づきを得たのも中学からの付き合いがある人から言われた言葉からだった。

 

「お前はもしかしたら誰よりも失敗して今にいたるかもしれない。だけど、その失敗から逃げ続けるならただ失敗しただけで終わるぞ。せっかく誰よりも失敗できたなら活かせ。」

 

振り返ってみても、今までの色んな選択を誰かからのきっかけで決定してきたようにおもえる。その結果には割と満足してることが多かった。

 

だけど自分ひとりで決断した時はどうだろう。

 

予測が甘かったり、思い込みだけだったり、理想と現実とのギャップに納得できず諦めてしまうことが多かった。そして後悔も多い。

 

ひとりで生きていくことの難しさも、誰かに巻き込まれて生きていく息苦しさも、両端を経験できた今だから自分のことがわかる。

 

"適度な距離感"で誰かと関わりながら生きていくのがお似合いみたいと。

 

ちょっとくらい強引な人に振り回されるくらいが自分にはちょうどいいのだと。

 

「適度」とか「ちょっとくらい」とか曖昧な表現に頼ってしまう線引きだけど、何度もその線引きを侵されてみないとわからなかったもので、割と自分の中でははっきりしている。

 

人間関係は難しいと言われるゆえんは曖昧な表現の程度が似た人と出会えない難しさとも言い換えられるのかもしれない。

 

自分の経験談からはっきり言えるのは、

 

己の線引きもわかってないヤツが誰かの曖昧な線引きを己のものと同じように扱うなよ

 

ってことだけ。

 

そんなヤツを見分けられるようになっただけでも失敗したかいはあったんだと思える。

 

そんな気づきの中で驚いたのは、振り回しているようにみえて他人の曖昧な線引きを探ることができる人もいることだった。

 

一見乱暴に映るけど、その振る舞いを許せる人許せない人と初手から見極めることも出来るうえに、今後の付き合いを考えることまで出来る人がいる。

 

人間関係で失敗した僕だからそんな映り方になる。失敗していなかったら乱暴な人だと思って終わりだったろう。

 

それからもうひとつ。

 

自分の失敗をきちんと誰かに聞いてもらうことで、取り返しのつく失敗だったと気づくこともできた。

 

これまでが自分ひとりだけの人生だったならば降りかかる失敗を直視することしか出来なかっただろう。誰かの視点を借りることは立ちなおるための必須条件だった。それから別の視点を借りられるように生きてきた自分にも感心した。

 

頼れる誰かがいることは自分の魅力なはずが、自分では全く気づいてやれてなかった。

 

失敗して、逃げて、悩んで、向き合って…

 

遠回りしたからこそわかることもあった。

 

失敗を経験として人生に還元しなければ、時間を無駄にしただけの失敗で終わってしまう。

 

時間は寿命で有限なもの。そう考えてタイトルを言い換えると

 

『失敗に生かされるも殺されるも自分次第』

 

になるのかもしれない。