タバコ休めみたいな道中

休んでいる間も命を削るのはまるでタバコのよう

何と戦っているのだろうか

連続投稿が唐突に終わりを迎えた昨日。

 

ここ数日頭の中にあった疑問がパンク寸前になり、言葉を浮かべようにも邪魔されていた。

 

「僕は何と戦っているのだろうか。」

 

僕は究極な平和主義だ。争いは嫌いだ。誰かが勝った負けたなんだと話題に上がるのも好きじゃない。

 

戦争なんかの国際的な揉め事にヘイトスピーチを主張したいわけではない。

 

それでも身近な人たちが争わずに、蹴落とされることもなく、笑って過ごせる毎日を作っていけたらななんて甘ったるい考えをぶら下げて生きている。

 

小さい時からずっとそう。争いには極力参加しない、交戦的なら降伏する、あえて標的にならないように自分を下げる。そんな生き方だった。

 

そんな僕は何と戦っているのだろうか。

 

今は誰かと競うことも誰かに憧れることもなく、ひとりの時間を謳歌している。

 

もしかすると

 

僕は孤独と戦っているのだろうか。

 

ひとりは今のところ最高だ。好きな時に好きなことを好きなようにやって、嫌なことはなるべく避けて生きている。

 

けど眠れなくなるほどの不安はどこからやってくるのかわからない。

 

周囲に人はいるから究極的な孤独ではない。

 

頼れる人も話し相手もいるから孤独とは言わせない。

 

それでも1日のほとんどはひとり。

 

平和主義には必ず誰かと共にいる時に感じることで、孤独主義になりたいわけではなかったのだろうか。

 

誰もいなければそもそも争いなどないのに。

 

僕は孤独と戦っているのか。

 

僕という存在を認知してくれる他者がいるのなら孤独にはならないのでは。

 

それでも孤独だと感じるのはなぜだろうか。

 

自分の内側を見つめすぎて外が見えなくなっているのだろうか。

 

何が見えなくなっているのだろうか。

 

外には何があったろうか。

 

考えるのも嫌になるくらいには孤独に蝕まれているのだろうか。

 

それかひとりな自分はかわいそうだと悲壮感に浸っているだけなのだろうか。

 

結局、僕は何と戦っているのだろうか。