タバコ休めみたいな道中

休んでいる間も命を削るのはまるでタバコのよう

新規と継続、そして回帰 Day 10

ついに始まったバイトのある生活。2ヶ月間自分のことだけを考えたら良かった生活の一部を企業様に買ってもらい、給料を得る。

 

残念なことに初日の説明を受けただけで翌日は寝込んでしまった弱くなった僕がいた。

 

今日はただ寝てた。

 

特別出席しないと今後に影響するものはなかったことだけが救いだった。

 

そして、今日もバイトに赴いたわけだ。また大学生なのにバイト先と部屋との往復になってしまった。

 

「大学生は学業してこそ。」

 

留年、休学、そして復学。

 

色んな立場から見えてきた大学生という存在。

 

それから、僕が大学のことだけ考えればよかった日々から改めて実感したこと。

 

せっかくの気づきを自ら疎かにしてしまうことはやはり愚かなことだろう。そんな自己嫌悪にながらも帰路につく。

 

また明日から頑張ればいい。

 

自分の苦手なことを克服するために、予定や計画を確認する作業を1日の終わりに取り入れるようになった。

 

以前よりマシにはなったが、まだまだ自分を追い込み過ぎる計画ばかりで、途中で頓挫するのは相変わらず。

 

ただ、今はそれでもいい。

 

それより振り返る時間を習慣にして、頓挫していることを眺めてるだけの無気力な自分になることの方が危ない。

 

何度も周囲や環境のせいにして結果の出せない自分を原因の追求から外していた。

 

望まない結果には「自分に問題はなかった」と間違った自己肯定を望んでいる自分が必ずいる。

 

何より、出来なかった自分を否定的に捉えている時間をこれからどうしたら間に合うかと前向きに考えた方が気持ち的に楽だとわかった。

 

結局、単位を取ることが目的なのに課題を完璧に仕上げることを優先していては、いつまで経ったも卒業出来ない。

 

多少の妥協は必須事項で、期日を守ることの方がえらいということになる。

 

こうした考え方に自分の思考は未だ反抗的な部分がある。こびりついた固定概念が変わることを嫌がっている。

 

それも無意識に自分が装備してきたものを意識的に外さないといけないのだから、変わろうとするものに嫌悪感すら抱く。

 

人間とは螺旋的な歩みで変化や成長と言った変体を遂げるものだと思えてくる。

 

既存の軸から大きく外れることを嫌い、なるべく早く新しい軌跡を描かんとしている。

 

同じ段階をグルグルと回っていては上にも下にも変わることができず、焦りが生まれる。

 

だけど、それでこそ人間が螺旋的だと思う理由でもある。

 

そもそも焦りの根元は社会に広がる他の螺旋と自分のを比べてしまうからだ。

 

一本に軸が通っているのが綺麗。

軌跡が被ることなく伸びていく螺旋が綺麗。

 

それに比べて自分のは…と。

 

結局その螺旋の主人は自分だけ。元々比較する必要もないのだから、焦ることなく、自分が納得できる螺旋を自分のペースで描けばいい。

 

そんな風にまた同じあやまちを犯す自分を肯定しながら、明日は新しい螺旋を描けるように生きていくしかないのだろう。

 

明日こそは新しい段階の螺旋を描けるように、度重なる反省を生かすしかないのだろう。