タバコ休めみたいな道中

休んでいる間も命を削るのはまるでタバコのよう

2018の11月の僕

半年以上ぶりの投稿になりました。

 

使っていた口調も、ブログを続けたかった感情も、何をしに大学に進学したのか…何もかも無くなった状態で実家に帰って来てしまいました。

 

結論から言いますと、逃げました。

バイトからもサークルからも大学からも親からも全てが嫌になってしまいました。

 

原因は複雑で、僕の話だけをしてしまうとある1人の友人をキッカケに今の状態に陥ってしまった形になるので、にごしていきたいと思います。

 

逃げ出した最大の理由としては、自分の事ですら自分で決められなくなることが怖くなっていきました。

 

今日の予定、話してる内容、思っている事、感じている事、ふと出る表情の全てが僕じゃない誰かのものに成り下がってしまっていました。

 

僕は僕の命を削って今を生きてたはずなのに、僕の体を生きてるお前は誰だって頭の中を巡るんです。

 

黒くてモヤモヤして、声色も定まらない僕かもしれない誰かにひたすら問われる日々に気が狂ってしまってました。

 

記憶が曖昧な部分がありますが、何が自分を苦しめる形になってしまったのか整理していこうかなって思います。

 

  1. サークル
  2. お金
  3. 友人
  4. カウンセラー
  5. 教授

 

おそらく、「友人」「サークル」「お金」の3つを中心に僕は破綻していったんだと思います。

 

 まず、「サークル」です。

同好会から部へ昇格させることを目標に友人と僕の2人で土台を作ってやろうとしてました。

 増えていく申請書類をこなしていく毎日でした。2人ですれば問題ない量でしたが、次第に書類が出来るまでバイトに行っては困ると友人に言われるようになりました。僕は必死に書類を作成し、確認を友人にするのですがダメ出しだらけの日々。

 結果、書類は終わりますが、バイトは直前連絡の欠勤が続いて居づらくなり辞める運びになりました。

 

 また、酔った勢いで入ってきた女子マネさんをデートに誘ったことがありました。これがのちのちセクハラ問題に発展してしまいました。

 

 この事の全ての仲介に友人を選んだことが間違いだったのかもしれませんが、後の祭りです。

 

 まず、友人はお詫びにご飯に誘うべきだから謝って連絡すべきと友人からと僕からと何度かご飯へ誘いました。

 

 マネさんからの条件は誰かしらと一緒にならとのこと。

 

 もちろん友人は同席をお願いし、他の後輩も誘いご飯へ。支払いはだいたい1、2万ほどを僕が払うことが多かった気がします。まあ、友人は声かけと仲介のお代だと何度か支払いを断られました。

 

 ここで済めば良かったのですが、友人からマネさんへの対応の悪さを指摘され始めました。

 

そりゃ二度とセクハラをしないよう言葉を選び、必要ない関係性を排除していたので素っ気なさはあったと自覚しています。

 

 ですが、そんなことがあった後にどう対応すればいいのか自分にはわかりませんでした。

 

 また、僕は友人から仕事をマネさんへ回してもらうようにお願いをしました。

 

 のちに、

「誰のせいでマネさんを気づかいながら仕事をお願いしないといけなくなったのか。」

「誰のおかげでセクハラ問題が大きくならずに済んだのか。」

と、友人から言われることは予想していませんでした。

 

 最近わかったことなのですが、第三者からマネさんがセクハラとまでは言ってないからなぜそこまで僕が言われているのか理解できないと伝えられました。

 

 これを機に僕はマネさんを見ることも話すことも出来なくなってしまいました。じゃあ一体今までの僕に対するマネさんの発言はどういうことかわからなくなってしまったからです。

 

マネさんの僕に対して発する言葉や感情が本物なのか偽物なのかわからないこと、それ自体が怖くなっていきました。

 

 次に「お金」です。

 

 仕送りが最低限の事情からバイトを辞めてから同級生やカード会社、親からもお金を借りる生活をするしかありませんでした。

 

 時々日雇いの派遣へ行った際も友人からあの書類は、この書類はとたくさん連絡が入るとような状態でした。なので、いつからか仕事するにも予定がないのかどうか友人に確認する手間がかかり、自分の予定が組めなくなっていきました。

 

 また、マネさんへのご飯と同じ時期くらいに僕が主催した他大学との会食がボツになったこともありました。

 

 食材を何万分か立て替えたものが全てパァ。

 

 この時点で僕の貯金は底をつきました。

 

最後に、「友人」です。

ここまで出てきた友人は同一人物です。

この友人には、僕のお金は底をつきたから遊びには行けないし、飯も食えないから今後付き合えないと伝えていました。

 

 そこで友人は提案してきました。「貸すから飯に行こう。」「貸すから遊びに行こう。」「その代わり利子として、どこかいくなら車を運転してくれればいいし、夜はマッサージをしてくれればいい。」と。

 

 何をして利子をつけてくれるのかと友人に問われて、僕にできることは運転とマッサージくらいしかないと答えた気もします。

 

 僕は自分の時間を担保にお金を借り続けていたのだと今ならわかります。

 

 昼夜を問わず、どこどこ行きたいから付いてきてと。待ち時間や夜寝る前には、足が痛いから、肩がこったから、腰の調子が悪いからマッサージしてと。

 

 いつまでも保てる訳はありませんでした。

 

 僕は次第に断り始めましたが、最初の約束は自分から言ったなら完済するまで努めるべきだと言われる毎日が続きます。

 マッサージは日に日に時間がのびて30分以上指圧し続けることが毎日の日課になりました。

 

 友人は金のいる用事が近いとわかれば、いつまでに親に借りてでも返すべきじやないかと諭される日もありました。

 

 お金を貸すから遊びに行こうが普通になってきて、金額がふくれていき、友人の注文には断れない体制が染み込んでいきました。

 

 エスカレートしていきながらこんな生活が半年以上続いたある日、僕は無意識に自殺未遂をします。

 

 何かが吹っ切れる音のようなものを感じて、そのまま実家に逃げるかのように僕は帰ってきました。

 

 まとめかたがわからなくなってきましたが、僕は今、自分が何をしたいのか全くわかりません。

 

 カウンセラーと教授と親から今後について聞かれても何も答えられない。

 

自分がどうしたいのかがわからないんです。

 

半年以上の時間をかけて、僕は自分を見失ってしまったみたいなんです。

 

 それを再認識させられるから他人には会いたくなくなります。

 

 また、何で困ってると聞かれても何も答えられないんです。

 

 友人を悪者にしたい訳でもないし、僕が望んで約束したことばかりだから。

 

この事すら誰かに言わされてるのか本気で思っているのかわからないんです。

 

 2018の11月の僕は自分を見失い、お金と時間を浪費し、何もない状態にまでなってしまいました。

 

 これからまた自分をゆっくり取り戻すためにブログを書かなきゃいけない気がしました。

 

長くなりましたが、どう説明しても友人が悪くなってしまうこの状況がまた嫌になってしまいます。

なので、「あんなこともあったな。」なんて笑える日が来ると願って僕は生きていこうと思います。

 

 最後まで読んで頂いた方、ありがとうございます。

では、また。