タバコ休めみたいな道中

休んでいる間も命を削るのはまるでタバコのよう

怒りと向き合うって大変

僕は怒りの扱いが下手な気がします。

 

最近は母にしか怒ったりしません。

 

母は真面目な話をしても茶化したり笑って解決を先延ばししたりと僕の言葉を軽く扱われていると感じているからかもしれません。

 

父が怒る姿を見たのもだいたい母の聞く態度が極端に悪い時だったような気がします。

 

だから、僕が母と話をすると最終的にはきつい言葉を使ったり、声を荒げたりしてしまいます。

 

あー、元カノには怒ることあったなー。

 

自分が怒って、誰かを泣かせたりするのが嫌で怒らなくなってきたのかも知れないです…。

 

そんな僕は人から自分が不利益になることをされても怒れません。

 

まず考えてしまうのはどうして僕に対してそんなことをしてしまったのかです。

 

先に僕が相手に対して何か不満のあることをしてしまっていたのか、僕に会う前に機嫌が悪くなることがあったのか、はたまた他のみんなに同じ扱いをしているのか。

 

実際に聞いてみたり、自分で考えている間に怒りなんて忘れてしまいます。

 

あと、世の中には色んな人がいます。


自分の理解が追いつかない行動や理不尽な言動をする人は意外と多いです。

 

理解出来ない時は「僕には分からないので勉強させてもらいます」って気持ちで観察します。

 

一向にわかりませんがね!

 

理不尽な扱いに対しては我慢出来ない時もあります。

 

ただ、そこに怒りを持ってくるのは無駄だと思っています。

 

だから、あえて満点な笑顔だったり、無関心を装って真顔で対応します。

 

怒りに対して考えるきっかけは、人の上に立つ人は怒りを上手く向き合えていると思うことがありました。

 

同い歳の友達はチームの後輩や先輩にチームの一員の意識向上の道具として怒りを使っていると言っていました。

 

軽く言って伝わらないなら強く感情を込めて言うことも必要だと聞きました。

 

後輩にはチームとしての自分の役割を認識して動いて欲しい、先輩にはチームとして筋が通っていないことをして欲しくない想いを込めてのことらしいです。

 

僕は今、怒りの使い方を問われている気がしてしょうがない日々を過ごしています。

 

個人としてとチームのキャプテンとして、怒りの使い方を分けて考えてることが必要だと気づきました。

 

自分が変わるため、チームのためにもっと考えていきたいです。

 

では、また。