ことわざへ、私的な曲解 Day 18
「笑う門には福来る」はことわざの中で認知度上位なものだろう。共通解釈は「笑ってれば良いことあるよ」みたいなものだろうか。
調べてみると「門」は家を表していて、時には人を指すこともあるそうだ。
くよくよしたり落ち込んでばかりで暗い人より、何事にも挫けず笑って明るい人の方が人生は豊かになりそうだ。
ただ今日はあえて「私的な曲解」で、ことわざの本当の意味が見えてくるのではないか、挑んでみたい。
分解して、結論を出していく形式にする。
まずは「笑う」だ。「笑顔」ともいえる。
「笑う」について考えてみると、たくさんの種類と場面によっては不適切なものまであることに気づく。
心の底から腹を抱えて「バカ笑い」
柔らかい印象を与える「ほほ笑み」
悲しいけどおかしい「泣き笑い」
都合が悪い時にする「苦笑い」
接客で使うような「作り笑い」
人間って「笑顔」って種類だけでいくつ使い分けているのやら…。
これだけ種類がそろっていれば「笑い」続けて生活することも無理ではなさそうだ。
ただ、不適切な場面での「笑い」にまで福はやってくるのだろうか。
会議や集会で何かしらにツボってしまい、笑いを堪えるような経験はしたことないだろうか。
あの時の「笑い」やってくるの福ではなくて学生なら先生、社会人なら上司だろう。
直接の注意がないにせよ、周囲からの冷たい視線を浴びることは免れない。
笑ってはいけない場面のひとつだ。
あとは誰かの相談を受けている時や謝罪をする時などは、「笑い」がかえって福を遠ざけてしまうような気がする。
豊富な「笑い」と場面を気をつけていれば、やっと福もやってこれるだろうか。
いや、「笑い」の種類にも例外がありそうだ。
元々福さんが好む「笑い」とはどのようなものだろうか。
おそらく表情だけの「笑い」をぶら下げているのは福さんの好みではなないだろう。
そんなもので乗り切れるのは表情でしか人を判断できない人の前だけだ。
表情と心が揃った「笑い」こそ、福の好みなのではないか。
辛く落ち込んでいる時の笑ってなきゃってつくる「笑い」特例で、気持ちが乗り越える時までおそらく福はこっそりそばで見ているのかもしれない。
『早く「笑い」で乗り切ってくれ〜!』なんて心配そうに見守ってくれていると思うと、すこし可愛らしい。
心から「笑い」、顔でも「笑い」
体から溢れる「笑い」で包まれる時がベストなのだろう。
次は「福きたる」だ。
福さんはどんなふうにやってくるのだろうか。
歓送迎会のようにみなで盛り上がっている中に気づいたら一緒に笑っているような感じか。
はたまた入口の隙間から満足そうな顔をしながら覗き込んでいるのだろうか。
もしかしたら福は福でも悪い福の方がやってきているのかもしれない。
「笑い」に包まれた空間にズカズカと入ってくるような福ではないだろう。
せめて今時ならノックくらいして、挨拶までしてくれると扉を開けて歓迎でき…、んー、
『こんにちわ!福です!いい「笑い」見せてもらったので幸運持ったきました!よかったらどうぞ!』
ってこられたらちょっとビビるな。
やはり、来られても困るから宝くじ当たるとかで、福が来てたかなとこちらから疑える距離感がありがたいな。
つまり、「笑う門には福来る」とは
「福にまで届くような溢れる「笑い」で日々を過ごして、あくまでも見守っているかもと感じる距離感でラッキーが巡ってくること」
って感じでしょう。
「笑い」で人生左右されないかも知れないが、
人生最後の日に「よく笑った、楽しかった。」と思えることもまたラッキーな贈り物なのかもしれない。