挫折と考察、それから気づき Day 12
やるべきこと、やらなきゃいけないこと、した方がいいこと、やりたいこと、やりたくないこと…。
今日を、明日を、明後日を、今週を、来週を、再来週を、今月を…。
大学生であって、アルバイトであって、僕という人間だと同時に、数えきれない物事の「選択と実行」を繰り返す。
何かしらの社会に属して、欲を言えば結果を出して生きていきたいのなら、自分の時間を何層にも重ねて生きていかないといけない。
そう思ってるけどうまくいかない。
むしろ僕には難しいことなのかもしれない。
よくこの手の悩みを解決したくて何冊ものビジネス書籍を渡り歩いてきた。
朝に今日のタスクを決めて、消去法でこなしていく。
自分のしたいとできそうをこなして、したくないとできないは誰かに相談する。
人生の基準を決めてするとしないを即座に決める。
たくさんの成功者が紹介する人生のこなし方を知ってはいるが、いまいちピンとこない。それに大体2ヶ月くらいで頓挫する。修正も虚しく結局うまくいかないから行き詰まって、すべてを投げ出すことを繰り返してる。
自分に合ったやり方が他にあるんじゃないか。
こんな風に考え始めることがこれまでのループに陥る入口だということは、身をもってわかっている。
なら、諦めるのか。
いや、考え方を変えてみようか。
合う合わないの基準から変えるべきなのか。
部分的に合うこともあったんじゃないのか。
合わないと感じる瞬間はいつなのか。
急に入るタスクはどう立ち回るべきか。
自分の考えられる範囲はどれくらいなのか。
などなど、今まで試してきたことを振り返ってみようと。するとふときづいたことがあった。
僕に圧倒的に足りなかったのは「振り返るための時間」にあたる「余白」だ。
人生やり逃げのような一方通行はやはり見落としが多すぎる。
もしかしたら、同じあやまちを繰り返していただけかもと思うと時間の無駄すぎる。
それから、「選択と実行」の先にともなう「責任」のことを考えてはいなかった。
ここでいう「責任」は「覚悟」のようなものだ。仮にうまくいかなかった時にそれに向き合う「覚悟」だ。
そう思い始めると、これまで人生をこなすのがうまいと思った人たちは総じて、この「余白」と「責任」のことを前もって考えていた。
自分に合った基準があって、だけど本当に合っているのか振り返る余白があって、仮に思うようにいかなかった時も自分で責任をとる覚悟を持つ。
そして、最も大切なのが継続だ。
いつぞやの本にこんなことが書いてあった。
挑戦とは一見無謀な行いのように見えるが、自分の限界を知る数少ないチャンスでもある。
そして、挑戦し続ける人とそうでない人の違いは肉体的、精神的な自分の限界を的確に把握しているかどうか。
新しい挑戦を前向きに自分を超えることにのみ集中できるからだ。
これとは別の本にはこうもあった。
自分の限界を探す間は出来ないことにも多く直面し、その数だけ挫折を味わうことになる。
積み重なる挫折や失敗から自分の限界を決めつけたくなる時もある。しかし、その時見えている限界は自分が決めつけた限界であって、本当の限界ではない。
必ずしも見つかるとは限らないが、本当の限界とは探し続けることでしか見えてこないものでもある。
日常的な視点だと「挑戦」という言葉には非日常的な大きなことを成し遂げようとする印象がある。
それでも、出来ないことを出来るようにしたいという気持ちの面では、僕の悩みに向き合う気持ちと一緒じゃないだろうか。
それと、自分の出来ないという決めつけが自分の成長を止めてしまうこと。
今の僕は出来ないことばっかりを並べて成長しようということを怖がっているんじゃないのか。
自分の限界を決めつけて、今にとどまることを無意識に選んでいるんじゃないのか。
「選択と実行」
「余白と責任」
「挑戦と継続」
これからの「人生の基準」がやっと見つかったような気がする。