タバコ休めみたいな道中

休んでいる間も命を削るのはまるでタバコのよう

5ヶ月間、本を読みまくって

僕は借金を抱え、友に裏切られ、学校にまともにいけず、バイトもいけず、とにかく何も手につかない状態で休学をし、実家に戻ってきた。

 

そんな時、すがるように「20代」「成功」「人生」「生き方」という題名の本を買い漁っていた。

 

人生のどん底な状態から這い上がるためには、どうしたらいいのか。なけなしのお金で即効性のある答えをかき集めようとした。

 

5ヶ月の時間をかけてたくさんの本を読んで、自分なりに答えを考えて、わかったことは1つだけ。

 

答えは本にはないってこと。

 

「そーか、そーか、そういうことなのか。」

 

追い求めてたものは手に入らなかったけど、そうわかった時はなんでかすごく気持ち良かった。

 

そして、この5ヶ月間で僕の思考は大きく変化した。

 

以前の僕は、今の状況になったことの原因のほとんどを周りの人や運のせいにして、自分は被害者であることを受け入れようとしていた。

 

自分が被害者である以上、身に起こった悲劇たちは外的な力によって偶然引き起こされたと答えを出しやすい。

 

しかし、この思考は、ただ問題の当事者であることから逃げるための言い訳にしかならないことに気づいた。

 

僕は初めて問題の当事者になろうと決意できた。

 

この決意のもと、過去を振り返ると見えてきたものがある。

 

僕の人生に対する姿勢が甘かったことだ。

 

お金に対しても、

ヒトに対しても、

そして何より、自分に対しても。

 

僕はよく自分のことなのに他人事のように感じてしまう、簡潔に言えば「冷めている」人間だった。

 

借金が膨らんでいくこと、対人関係がうまくいかないこと、進路に悩んでいること

 

僕自身の問題を傍観者のようにかわいそうとかもっと頑張れよなんて思ってた。

 

だから全ての問題の限界が来た時、急に自分が引きずり出されたように感じて何も動くことが出来なかった。

 

さっきまで僕はこの悲劇の物語を見てただけだったのにって。

 

僕は自分の人生を歩んでいなかった。

 

答えを探す道中の思考で、やっと見つけた自分の問題点。そして、これからはどう生きるかなんて答えは出たようなもの。

 

本になかった答え。

 

「え、なんだよ、気になるじゃん」って僕の話を見てくれている方は思うかもしれない。

 

ここで僕が答えを出してしまうと、たくさんの本のように"答えっぽく"なってしまう。

 

少し言葉について僕の考えを説明すると

 

「言葉は発した時点で受け手を必要とし、発した言葉は受け手の範囲でしか意味を受け取ることはできない。そして、出し手の意図とは関係なしに意味が変わってしまう危険が必ず伴うと考えなければならない。」

 

みたいに思っている。

 

僕が見つけた答えも言葉にすると、誰かの受け取れる範囲でしか意味が届かない。

 

答えっぽいことを言うのは簡単なんだけど、僕の役目じゃないなって思ってる。

 

もし、同じ世代の人が生きるための答えが欲しくて僕の記事を見てくれていたのなら、期待に添えなくてごめんなさい。

 

だけど、その欲求の満たし方なら伝えられる。

 

たくさんの本や雑誌、ネットの記事でたくさんの人生を覗いて見てほしい。

 

そこから自分だけの答えを探し続けてほしい。

 

僕の休学が終わるまであと4ヶ月。

 

答えが見つかって、頭がすごく軽くなったからか今めちゃくちゃ気持ち悪い。

 

今まで無意識のうちに溜め込んだ固定概念みたいなものが吹っ飛んだ。

 

空っぽな頭をぶら下げてこれからどうなるか。

 

楽しみでしょうがない。

 

僕はまだまだこれかだ。