タバコ休めみたいな道中

休んでいる間も命を削るのはまるでタバコのよう

音のない夜に感じる贅沢

今の生活は大半、外に居たい。

 

朝と夜は何も考えず外でぼーっとするのが何気に習慣になっている。

 

この過ごし方が良いのか悪いのか、わかるのはずっと先のことだろうなんて頭はそれがわかるいつかに向いている。

 

特に夜のこの時間は何にも変えがたい過ごし方だろう。

 

キッチンの横の扉を開け、隣と境になってる塀に腰掛ける。

 

この時、耳には何も音は聞こえてこない。

 

この瞬間だけ、この世界には僕ひとりなんじゃないかと少し寂しさと楽しさが混じった気持ちになる。

 

だけど、すぐに音が聞こえてくる。

 

排水溝を流れる水、遠くで動く車やバイク、そして、自分の鼻をすする音が聞こえてくる。

 

目が暗闇に入る時に慣れようするように、耳にも静寂に慣れようと遠くの音を集めてくれる。

 

普段の生活の中で耳が慣れる感覚は夜の贅沢なことかもしれない。

 

贅沢は決してお金で買えることばかりではないのだとしみじみ感じる。

 

豊かになりすぎた生活の中で20円の差のついた缶コーヒーを悩んだ末に、高い方を買ってしまう贅沢とは雲泥の差なきがする。

 

当たり前の生活の中で、溢れる騒がしさから見落としているものに気づける贅沢な時間。

 

たとえ歳を重ね、時代が変わろうとも、忘れてはいけない事なのかもしれない。