桜と戯れる姿が美しいと感じた
お花見ラストスパートの土日。
桜の近くにはたくさんの人が集まって、それぞれの花見を楽しんでいた。
桜の淡いピンクと白の混ざった景色。
そこに入り込んだ人をとても美しいと感じた。
こうなると桜がきれいなのか、そこにいた人がきれいなのか曖昧になるのだが、そういう曖昧さがまた一層に美しいを増してくれるのかもしれない。
桜が咲き乱れる並木道の風景よりも、人が桜と戯れる姿が美しいと僕には見えるのだろう。
こんな視点は他のところにもあったなと振り返って納得できる。
カッコいいバイクに小柄なふわふわ女子が乗ってたらギャップを感じる。
ヤンキーな姉ちゃんがえびせん食ってたら親近感を覚える。
なんでもない料理をうまそうに食べる人がいればそんなに美味しいのかなとか、あの人今幸せそうだなとか思っちゃう。
僕の目には単体としてより、それを媒体にギャップや興味に価値があるように映るのだろう。
自分のクセって言うのには無意識なものが多いから、日常の普通を見つめ直すことで自分の知らない自分を見つける機会に繋げていきたい。
無意識を意識する。
こんなことの連続が自分の中で曖昧な僕らしいさをはっきりさせてくれるだろう。